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物理的領域の因果的閉包性



物理的領域の因果的閉包性


この言葉をホシコさんが好きで、


Wikipediaには「物理的領域の因果的閉包性」ってなってるから、そう言うと、


「物理的領域における因果的閉包性」って直すんですね。


「の」ではなく「における」だと。



そもそも「領域」って言葉を使ってる時点で、


それ以外の領域もあるみたいじゃない。



Aを原因として因果の法則に従ってBが起こり、

そのBを原因として、

また因果の法則に従ってCが起こる。


この世界は、そういうふうにできていて、

未来はすべて決定しているのか?


そういう話題です。


決定論におちいると、

人は不幸になると思うので、

どうやって決定論から脱すればいいのかって事が重要だと思うけど、


そこまでは話せてないかなあ~?


「空間があって、その中に物体がある。」その事それ自体が自分の思い描いているフィクションで、

人類がみんな同じフィクションを思い描いているから、

それが事実って事になる。


「物理的領域」ってものが存在するっていうのはフィクションで、

物質としての自分の脳が存在するのもフィクションで、


人間は、こういうものに現実感を感じるように、先天的にそう感じるようにできている。


そんなふうに思ってます、現時点では。

恐怖心について



他人が怖いとか、対人恐怖症という言葉もあって、


それから、


何かやろうと思うんだけど、

勇気がなくてできない。


言いたい事があるけど、怖くて言えない。


だから、この恐怖心を克服したい。という事があります。


人の恐怖心の根元は、

死に対する恐怖だと思います。


人も地球上の生き物として存在しているので、

生き延びるために死の恐怖が植え付けられているという事だと思います。


生き物の遺伝子(先天的な性質)は、1世代とか2世代で大きく変わるものではなく、

1万年単位とかで変わっていくと聴きます。


原始時代に死の恐怖を持たないでいると、

野性動物に襲われるような場面でも、

死の恐怖を持たないがゆえに、

そのまま襲われて死んじゃいます。


そういう人がいたかも知れないけど、そういう人は野性動物に襲われて死んじゃって、

子孫を残せなかったと。


我々は生き延びていると。

生き延びているのは、死の恐怖を持っていたからだと、

こう思います。


ゆえに、恐怖心を克服するのは難しい。



ジェットコースターに乗るのが楽しいって事があります。


なぜかと考えるに、

生理的な反応として死の恐怖を感じんるからだと思います。


生理的な反応として死の恐怖を感じるんだけど、

100%に近い確率で死なないと分かっているから楽しいって事だと思います。


100%に近い確率で死なないと分かっていて、

生理的な反応としても、恐怖心がわかないのなら、

体を揺らされるだけで、別に楽しくはならないと思います。


命からがら生き延びるみたいなことに、

人は充実感を覚えるものだと思います。



現代社会で死とは直結しないことでも、恐怖心を持ってしまいますが、


このジェットコースターに乗っている時のような

メンタリティーでいられれば、

うまく乗りきっていけるのかもしれません。